量子力学と現実世界2章「真実は変わり続ける」

「地球は平面である」と信じられていた時代に、地球が球体であることを説得するのはとても困難です。なぜなら、日常生活の中に、地球が球体であるという証拠はどこにもないからです。地球の上を歩けばどこまで行っても平らですし、地球は平面であるという理解が日常生活に支障をきたすこともありません。地球は球体であると主張する人は頭がおかしくなってしまったと思われるに違いありません。

同様に、「太陽が地球の周りをまわっている」と信じられていた時代に、地球が太陽の周りをまわっていることを説得するのも困難です。太陽は東から昇って西に沈みます。どう見ても太陽が地球を中心にして動いているように見えますし、地球がまわっていることなんて感じません。そこに、地球が太陽の周りをまわっているという新しい真実が入り込む余地はありません。実際に、17世紀に地動説を唱えたガリレオは異端児として有罪判決を受けてしまいました。

しかし、現代を生きる我々にとっては、地球は球体である、地球が太陽の周りをまわっているという理解が一般的ですよね。歴史を通して、人にとっての真実、そして世界観は変化し続けてきました。そのように考えると、今日皆さんの信じる真実が絶対的な真実であると言い切ることはできないのではないでしょうか。見えないからといって、感じないからといって、知らないからといって、自分が信じる真実とは違う真実が存在していないとは限りません。またこれは、必ずしも今日自分の信じる真実が間違っているという訳ではありません。人が日常経験から知り得る真実は、より深遠な真実に対する一つの解釈、もしくはその一側面に過ぎないことがあるということです。

量子力学には様々な論争や解釈があり、理論も絶えず進化しています。本記事の中には、量子力学に詳しい方からすると「厳密にいうとそれは違う」と、もどかしい部分も多々あるかもしれませんが、僕も専門家ではないのでそこまで詳しくは知りませんし、あまり難しい言葉を使うと僕自身が混乱してしまいます。ここでは細かいことは気にせず、難しい専門用語をなるべく避け、数式を一切使わずに書いていきたいと思います。どうぞ最後まで読んでみてください。自分を取り巻く世界、さらには自分自身や他人について、新しい視野が開けるかもしれません。もしかしたら、深い瞑想状態を経験したことがある方にとっては、感覚的に頷ける内容が多々あるかもしれません。




大正時代に流行り病で亡くなった花奈は、魂の故郷へ還る前に、様々な次元の並行現実を旅しています。様々なテーマで花奈をチャネリングし、癒しの詩に翻訳しています。